Trans medicine gets entangled in America’s culture wars | The Economist
https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/world/00365/
トランスジェンダーの子どもに使用される性適合治療薬の使用を禁止する法律が米アーカンソー州で可決された。
バイデン政権が掲げる性的少数者の権利拡大に反する動きは、保守派で広がっており文化戦争の様相を呈する。
一方で、治療薬の安易な使用に伴う健康被害や精神疾患に適切な治療が施されないといった問題も起こっている。
米国では性同一性障害のための治療薬の使用が急速に広がっている。生物学的に判断される性と自身の性認識が一致しない子どもたちに、二次性徴抑制剤や性ホルモン剤の処方を通じて性適合治療を施す医師が増加している。世界トランスジェンダー・ヘルス専門家協会(WPATH)によれば、子どもの治療に当たる内分泌代謝内科を専門とする医師が10人以上いる州もある。だがアーカンソー州では1人しかいない。
4月、同州では18歳以下の子どもにこれらの治療薬を処方することを禁じる法律が可決された。トランスジェンダーの権利を擁護する活動を先頭に立って積極的に進めている米人権団体「全米市民自由連合(ACLU)」が同法案の差し止めに成功しない限り、「実験から思春期の若者を救う」ことを目的に、この法案は今年夏に施行されるだろう。
ACLUによれば、アーカンソー州は過去数カ月間にこの種の法律を導入した16州のうちの1つだ。トランスジェンダーの少女が女性のスポーツチームでプレーすることを禁じる法律を導入している州はさらに多い。アーカンソー州も同様の法律を3月に成立させたところだ。伝統的な男女の役割分担を重視する保守派の多い南部諸州の立法当局は、バイデン政権が表明する性的少数者の権利拡大を推進する考えを押し返そうとしている。
バイデン政権は、トランスジェンダーの人々は自分が認識する性で認識されるべき(つまり、トランスジェンダーの女性は女性専用の空間にアクセスを許されるべき)だし、トランスジェンダーの子どもは二次性徴抑制剤や性ホルモン剤を用いた性適合治療を受ける権利を有するとの考えを容認している。
一方、アーカンソー州の医師は、同法が及ぼす幅広い影響を危惧している。同州最初のトランスジェンダークリニックの共同創立者であるジャネット・キャセイ博士は「同州の保守的な政策のせいで、若い医師たちがアーカンソー州で働きたがらなくなる点を懸念している」と話す。同クリニックはアーカンソー医科大学に設置されている。
だが同法を、政治的なご都合主義の産物と片付けてしまうのは早急だろう。これは、子どもへの二次性徴抑制剤や性ホルモン剤の使用に対する懸念の高まりに対する一つの答えでもあるのだ。二次性徴抑制剤は、胸の膨らみや顔ひげなど、自らの二次性徴の発現に絶望を抱く9歳ごろの子どもに処方されるが、もともと二次性徴を抑える目的で認可されたものではない。臨床試験も行われていない。骨の成長に悪影響を及ぼす可能性や脳の発達を阻害する恐れがあることを示す調査もある。
自らの性自認に苦しむ子どもたちを治療している医師は、二次性徴抑制剤を投与することで、患者が性ホルモン治療に進むべきかどうかを判断するまでの時間稼ぎができると話す。だが二次性徴抑制療法を受けている子どもたちの大半が、その後性ホルモン治療に進んでいく現実は、この薬が性ホルモン療法に至るのを阻止するものではなく、むしろ促進させていると示唆している。一方、性ホルモン治療は様々な深刻な健康問題を引き起こす。例えば、テストステロンの投与を受けているトランスジェンダーの男性は子宮萎縮や心疾患、不妊症を引き起こしやすい。
二次性徴抑制剤の使用制限策の導入を急ぐ国もある。
昨年、英国の裁判官は「子どもたちにこうした薬剤を投与することに十分な同意を示す余地は少ない」との判決を下した。キーラ・ベルさんの事例がきっかけとなった。
女性であったベルさんは、10代の時に二次性徴抑制剤と性ホルモン剤の投与を受けた。そして20歳で乳房を切除した。だがその後、ベルさんは自身がトランスジェンダー男性ではなく、レズビアン女性であることに気付いた。
米国のヘルスケア産業は、他の先進国と比べて倫理的な問題よりも個人の意思や利害を優先する傾向が強い。政策も州ごとに分かれている。このため二次性徴抑制剤の使用制限については、その必要性をめぐる議論ですら全く進んでいない。むしろ、性別転換のための治療を受けたいという要求を肯定するかどうかに焦点が当てられている。
一部の州は「コンバージョンセラピー」を禁止する法律を成立させた。コンバージョンセラピーは同性愛など、トランスジェンダー以外の性的違和感を持つ人が、その原因を探るための治療という意味も持つ。だがこうした趣旨が正しく理解されておらず「同性愛を矯正する」治療と認識されている場合が多い。
全米小児科学会などの専門機関はアファーマティブアクション(積極的格差是正措置)や二次性徴抑制療法を支持してきた。一部のメンバーは間違いだと考えているものの、そんな意見を公表すれば職を失うと恐れている。
米国では二次性徴抑制療法は「命を救う」との見方がしばしば示される。暗にトランスジェンダーの子どもは自殺率が高いとの考えをほのめかすものだが、それが事実だという証拠はない。
トランスジェンダーの子どもたちのケアに当たっている医療従事者は、二次性徴抑制剤や性ホルモン剤の効き目を称賛する。トランスジェンダーであると自認し始めている若者には、うつ病や拒食症などが出やすく、こうした症状の治療にも有効だと考えている。
だがこれらの疾患に対して適切な診療が行われないまま、初めから二次性徴抑制剤が処方されることが少なくない。アーカンソー州リトルロックに住む精神分析医のエリザベス・スタウト氏は、二次性徴抑制剤や性ホルモン剤がしばしば万能薬として機能することがあると示唆した。「最初に性別違和感を治療することによって、他の精神疾患を治療する必要がなくなってしまうケースがしばしば見受けられる」と同氏は話す。